キャッシング審査

キャッシング審査のポイントとは?

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キャッシング審査のポイントとは?

キャッシングを利用するうえで、必ず越えなければいけない壁、それが審査です。
どのようなキャッシングでも、審査に合格しなければ借入することはできません。

 

申込んではみたものの、審査結果が気になり不安な時間を過ごすという方も多いのではないでしょうか。
最近の審査時間は非常に短縮されており、最短で30分程度で回答されます。
それでも、自分が審査に合格できると、自信を持っていえる方はどれほどいらっしゃるでしょうか。

 

あなたなら、どのような方にならお金を貸してもいいと思いますか?
お金持ちの方でしょうか?
見返りが見込める方でしょうか?
一番多いのが、きちんとお金を返してくれる方ではないでしょうか。

 

収入証明書無しのカードローンでも同様で、業者は「きちんとお金を返してくれる」方にだけ、融資を行います。
申込者の返済能力を判断のが、キャッシングの審査です。

 

中でも一番重要視されるのが「収入」です。
ただし、単純に収入が高いというだけでは審査には合格できません。
その収入が「安定している」ことが求められます。

 

例えば、去年の年収が800万円で、今年の年収が0円の方と、去年と今年どちらとも年収300万円の方を比較すると、後者の方が審査では有利とされています。

 

その他、キャッシングの審査では、非常に様々な項目を判断します。
どれか一つでも問題があると、審査に合格することは難しいでしょう。
審査に関する項目には「本人に関する項目」「仕事に関する項目」「住居に関する項目」「借入に関する項目」の4つがあります。
それぞれ、以下の項目を判断することになります。

 

@本人に関する項目

 

・年収
・年齢(生年月日)
・性別(男性/女性)
・婚姻(独身/既婚)
・子供(あり/なし)
・同居家族
・保険種類(共済/組合/社会/国民)
・最終学歴・卒業年月日

 

A仕事に関する項目

 

・勤務先名
・勤務先種類(法人/個人/公的機関/自営業など)
・業種(農林水産/サービス/金融/電気など)
・社員数
・勤続年数
・職種(営業/事務/労務/技能/接客など)
・雇用形態(正社員/派遣社員/契約社員/パート/アルバイトなど)
・役職(管理職/非管理職)
・収入形態(固定給/一部歩合制/完全歩合制)

 

B住居に関する項目

 

・居住形態(自己所有の持家/家族所有の持家/賃貸/官舎・社宅/公営住宅など)
・住居種類(一戸建て/マンション/アパート/公団住宅など)
・居住年数
・電話(固定電話+携帯電話/固定電話のみ/携帯電話のみ)
・住居負担額(家賃や住宅ローンの額など)

 

C借入に関する項目

 

・他社借入件数
・他社借入金額
・借入希望金額(必要金額、希望限度額など)
・借入金の用途(生活費/飲食費/レジャー/教育資金/冠婚葬祭など)

 

いかがでしょうか。
非常に多くの項目があります。
会社により、ここに挙げた全ての項目を聞かれない場合もありますが、審査ではこのような多くの情報から、申込者の返済能力を判断しているのです。

日本のキャッシングの歴史

日常の急な出費、ちょっとした買い物などで非常に役立つキャッシング。
日本のキャッシングの歴史は、はるか鎌倉時代までさかのぼります。

 

藤原定家の日記「明月記」には、質屋についての記述があります。
鎌倉時代には、これまで以上に貨幣経済が発達し、家財道具や着物などを担保としてお金を借入する制度が確立していました、
もっともこの時代の質屋は「庫倉」と呼ばれており、室町時代には「土蔵」という名称で営業を行っていました。

 

「質屋」の名称が一般的になるのは、江戸時代からです。
よく時代劇などに登場する質屋の業務は、江戸時代の泰平の世の中で、急速に発展していきました。
巨大は富を形成し、一般庶民にもなじみのある金融業として発達を続けます。
江戸時代末期には、お金に困る武士(志士)にも広く利用されるようになりました。

 

明治から昭和初期、そして大戦前後、質屋は市民の間での融資の場所として活躍します。
この時期の銀行融資の担保は不動産中心でしたが、質屋の担保は貴金属や宝石類をはじめ、スーツ、布団、なべなど多岐にわたり、生活に密着した金融として重宝されます。

 

第2次世界大戦後、一時期質屋をはじめとした金融資本は、戦後復興に回されることになりました。
庶民まで融資を受ける余裕がなかったのです。
金融融資が復活するのは、日本が復興を遂げ、高度経済成長を迎える1960年代に入ってからです。

 

このころには、庶民の生活も豊かになり、質屋に預けている担保の価格が下落、いわゆる「質流れ」が続出するようになり、質屋業は衰退していきました。
質屋に代わり、新しい貸金事業として登場してきたのが「勤め人信用貸し」「団地金融」という業者です。
大阪で登場した貸金業者は、またたく間に全国に広がり、無担保・無保証の融資サービスが定着していきます。
主な利用者が団地住まいのサラリーマンであったことから、この名がついた新しい金融サービスが一般的になっていきました。

 

担保を「もの」から「信用」として、業態が「質屋」から「消費者金融」と変わることになります。
ちなみに、1960年頃の金利は上限で1954年制定の出資法の109.5%が適用されていました。
当時の日経平均株価が1,500円〜1,000円程度であった時代です。

 

金融業の競争が激しくなるにつれて、一部で悪質な貸金業者も現れます。
過剰な貸付と取り立て、高金利が大きな社会問題となります。
対象をサラリーマンとしていた貸金業者は「サラ金」と呼ばれるようになり、中には、生活困窮のため自殺者まで出現するようになりました。
いわゆる「サラ金地獄」です。

 

貸金業の金利は段階的に引き下げられていきましたが、逆に多くの金融業者は収益の悪化から廃業に追い込まれていきます。
消費者金融が、再び活況を取り戻すのは、80年代後半のバブル経済を迎えるころです。
テレビCMの解禁なども行われ、貸金業界が身近な存在になっていきました。
その後の金融再編などの動きを経て、現在の貸金業界の姿が生まれました。